料亭の建築 15 大広間

住吉神社が近いこともあって、結納や結婚式を承ることも多いという。
先代の建物にも大広間があって、すでに多勢の利用に応えていた。
大座敷は殊に給仕の動線を満足させないと、もてなしが成り立たない。
今回の計画も、大広間の配置が計画の要となった。

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                 <大広間 床を見る>

間口4間、奥行き8間半からなる大座敷に、1間幅の控えの間をつけている。
正面間口いっぱいに床を設け、下手に舞台を設えている。
連なる座敷を真行草で纏めたが、中でもこの大広間を真として、広い座敷をぬるからぬよう規律を以て整えた。大広間はふたつに分けられるが、通してひと部屋で使うときの風格を壊さぬよう纏めている。
床側の座敷だけでも長さが10m弱あり、材料を揃えるのには難儀した。
敷鴨居をはじめ、長押、天井長押と主に水平材で構成されるため、それらの見え掛かりが及ぼす影響が大きい。木取り最大の難所だった。
木を探して挽くも、いい杢が現れずと幾度か繰り返した末、漸くこの材料に行きあたったのは欣快にたえない。色味の揃った、柾目の美しい材料が木取れた。
これだけの長さだもの、取付にはさぞや墨打つ手も震えるかと思いきや、見る間に手際よく取付けていった。墨打ち、刻み、取付けと材料を動かすのも数人掛かりだが、地元福岡の大工が責任もって納めてくれた。

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                 <大広間 舞台を見る>

また大座敷ゆえに建具も大きく、襖障子とも幅が1間近くになる。
筬欄間も1本5m弱の長さがあって、通常の建具材料にはない。
建具は平松装備小田和人社長が采配を揮い、地元大川の福井樹美老が職人を仕切った。齢八十を超え、かくしゃくと現場をまわる福井老には頭が下がる。
当初大川の仕事場で見せてもらった材料が些か私の思いと異なっていて、そのときふた言三言進言したが、仕上った建具は数段上の材料で揃えられていた。
これでどうだといわんばかりの職人魂が伝わってくる。
いってみれば建具は建築の衣装で、どんなに大工が精魂込めても、建具が酷いと目も当てられない。空間を左右する大切な仕事である。
現場に運び込まれたとき、これでこの建物も大丈夫だと確信した。細かく指図して図面を渡したが、細部ひとつを蔑ろにせず、誠意溢れる仕事で応えてくれた。

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                  <大広間 床を見る>

崩してはいるが、書院をモチーフにしている。
床には琵琶台を添え、床脇の棚は一枚とした。これは嵯峨野の旧材カリンを用いた。床周りは張り付け壁とし、琵琶台の小襖は若女将見立ての裂地を貼った。主張を抑えた落ち着いた色味に納まったようだ。
天井の格組みは光天井とし、周囲の小組天井に設備関係を納めている。
この座敷も足が入れられるよう床下を掘っており、各種バリエーションに対応するため、30種以上の組み合わせで座卓と掘り床が対応できるよう考えられている。
誰もが投げ出す難しい要求を、村山千利が思考を巡らせ、平松装備藤原正巳の緻密な図面力でパズルごとくの難解な組み合わせを形にすることができた。
これも村山組の仕事で、座卓、釘隠ともに彼の仕事に助けられた。

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               <舞台を開け那珂川を望む>

2間の奥行きに舞台が設えられ、木曽檜の床に、舞台背面に杉戸が立つ。
幅1間の杉の鏡板戸だが、これも福井老の仕事による。
実はこの杉戸を開けると那珂川が望めるようになっていて、杉戸に描かれる松のかわりに紅葉を植え、座敷にいながら川面を望めるよう意図している。
舞台を逆手にとって一興とした。
宴たけなわに、この杉戸を開けると歓声に包まれるという。
舞台の緞帳は博多献上で誂え、鴛海(おしうみ)伸夫氏の製作によった。

  (前田)

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