東京S邸竣工ー3
玄関から廊下を挟み、その奥が、客間兼用の家族室となる。
廊下は両親の住まいに通じ、家族互いが自由に使うことができる。
家族同士がふれあう季節の行事や食事会、それぞれの友人知人を集めた催しも可能だ。家の中のパブリックなスペースとなる。
<家族室外観>
全体がL字型の平面に、この部分が庭にせり出した格好となる。
それによって、肝心な居住空間が暗くなっては本末転倒で、極力影が落ちないようにと、この屋根の形になった。
内部は大きく屋根裏を吹抜き、架構をそのままに現している。縦横に渡した赤松の丸太梁を八角に整え、高さが異なる主屋の胴差と組むことから、曲がりを求めて材料を探して貰った。今ではこうした曲がり木が手に入りにくい。造林の関係から、商品価値が見込まれない木は、早々に倒される。いい換えれば、直材の素直な木しか、商品にはならないのだ。
軽快に見せるため母屋を省き、垂木の寸法で持たせているが、猿頬に大きく面を取ることで軽快感を損ねずに纏めている。
庭に面した建具は9尺の引込み戸で、開け放てば庭と一体になる。
庭の隅には、兼ねてから桜の老木が立ち、グラウンドは芝生とタイルで覆った。
見るためというより、使うための庭と考えている。内外一体の空間として、自由な展開が演出できるだろう。
<庭を見る>
内部は10畳の広さに、床と書院を並べて配している。
そのような使い方のため、格式張った座敷の構成は避けた。
書院の障子を開けるとご両親の玄関庭に通じ、南天や篠竹の緑が映る。床は框を置かずに台面とし、書院も重心低く落ち着かせた。
また、床柱にはえんじゅを、落とし掛けは桑、床脇壁留めには梨を使った。
この取り合わせは八戸地方に伝わる縁起もので、大山さんの提案による。
えんじゅ、くわ、なし。
「年中、苦はなし」にあやかるものという。
<床正面を見る>
各窓に立つ障子の拡散光は、室内を柔らかな光で包む。
小屋裏特有の深い陰を嫌い、仄かな明かりで空間の大きさを掴まえたかった。
柔らかな陰影は表情を豊かに、剛胆と繊細さで空間を奏でたい。
そう思って、計画当初から迷わず書いたが、家族の成長を育むたくましさを、内心託したのかも知れない。
(前田)
<天井の構成>
廊下は両親の住まいに通じ、家族互いが自由に使うことができる。
家族同士がふれあう季節の行事や食事会、それぞれの友人知人を集めた催しも可能だ。家の中のパブリックなスペースとなる。
<家族室外観>
全体がL字型の平面に、この部分が庭にせり出した格好となる。
それによって、肝心な居住空間が暗くなっては本末転倒で、極力影が落ちないようにと、この屋根の形になった。
内部は大きく屋根裏を吹抜き、架構をそのままに現している。縦横に渡した赤松の丸太梁を八角に整え、高さが異なる主屋の胴差と組むことから、曲がりを求めて材料を探して貰った。今ではこうした曲がり木が手に入りにくい。造林の関係から、商品価値が見込まれない木は、早々に倒される。いい換えれば、直材の素直な木しか、商品にはならないのだ。
軽快に見せるため母屋を省き、垂木の寸法で持たせているが、猿頬に大きく面を取ることで軽快感を損ねずに纏めている。
庭に面した建具は9尺の引込み戸で、開け放てば庭と一体になる。
庭の隅には、兼ねてから桜の老木が立ち、グラウンドは芝生とタイルで覆った。
見るためというより、使うための庭と考えている。内外一体の空間として、自由な展開が演出できるだろう。
<庭を見る>
内部は10畳の広さに、床と書院を並べて配している。
そのような使い方のため、格式張った座敷の構成は避けた。
書院の障子を開けるとご両親の玄関庭に通じ、南天や篠竹の緑が映る。床は框を置かずに台面とし、書院も重心低く落ち着かせた。
また、床柱にはえんじゅを、落とし掛けは桑、床脇壁留めには梨を使った。
この取り合わせは八戸地方に伝わる縁起もので、大山さんの提案による。
えんじゅ、くわ、なし。
「年中、苦はなし」にあやかるものという。
<床正面を見る>
各窓に立つ障子の拡散光は、室内を柔らかな光で包む。
小屋裏特有の深い陰を嫌い、仄かな明かりで空間の大きさを掴まえたかった。
柔らかな陰影は表情を豊かに、剛胆と繊細さで空間を奏でたい。
そう思って、計画当初から迷わず書いたが、家族の成長を育むたくましさを、内心託したのかも知れない。
(前田)
<天井の構成>
この記事へのコメント
直線で構成されているのに、
何か曲線的な柔和さを感じさせられました。
久々にこちらのブログを拝見出来、眼福です。
それにしても、前田様も、
前田様のブログにコメントをなさる方も、
みなさん作家になれそうなとても文章力のある方ばかりで、
画像だけでなく文章も興味深く拝読させて戴いています。
次の更新も楽しみにしております(礼)
コメントありがとうございます!
そう仰っていただけると汗を掻きますが、素敵な言葉をありがとうございました。
澄渡さんも新たなお師匠さんが見つかりそうで、何よりですね。ブログを拝見しましたが「受け入れる」とは、良い言葉です。私もその言葉に賛成です!
きっとそれが”縁”なんでしょう。
縁を知って縁に気付かず
縁を求めて縁を抛ち(なげうち)
縁に気付いて縁を活かす
確かこういう言葉だったと思いますが、私の好きな言葉です。自ら求める、というものより、気付く=受け入れる、ということが縁そのものなんでしょうか。そう思うんですね。
澄渡さんの展開も楽しみにしています!
縁を知って縁に気付かず
縁を求めて縁を抛ち(なげうち)
縁に気付いて縁を活かす……。
大変含蓄深いお言葉を教えて下さり、
ありがとうございます。
仰るとおり、ご縁とは、
受け入れることなのかも知れません。
これを胸に留めて、
精進して参りたいと思います。
先のコメントでは触れなかったのですが、
柱などに使う木の取り合わせで
縁起を担ぐねらいが存在するなんて、
初めて知りました。
光の採り方も含め、
ここまでを加味する、心意気ある日本家屋は、
そうお目にかかれるものではございませんので、
ブログを通して拝見出来るのは
とても幸せなことだと思っております。
前田さまの建築を拝見しておりますと、
谷崎潤一郎の“陰翳礼賛”を思い出します。
(前田さまのご作品はもっと清々しい印象ですが)
一糸乱れぬ直線の端正さを、
仄かな明かりが暈してもたらす濃淡は、
やはり日本ならではの美しさだと感じました。
いつかご作品の実物を拝見しに
伊勢に行って参ります(笑)
素敵なお言葉をご紹介戴き、
つい再びコメントを投稿してしまいました。
どうもありがとうございました。
ではでは、失礼致しますm(_ _)m
どうもありがとうございます!
今後とも宜しくお願いいたします。
29日はお越しになられるようで、私も楽しみにしています。久しぶりの再会ですね。