加藤吉男 棟梁

石巻も、門や塀の完成が近づいてきた。
徐々に計画した姿に、全体が仕上がってきたようだ。
現場を努める大工と庭師の呼吸も合い、互いに仕事を競っている。
完成まで、あとわずかだ。

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                    <表門周り>

この仕事のきっかけに、山形の加藤吉男 棟梁がいる。
1昨年だが毎年頂く年賀状に、ここに移築された茶室が載っていた。
加藤棟梁は、3代続く宮大工の系譜にあって、文化財の造営や修復に携わる、日本きっての宮大工である。
おや、数寄屋もやられるのかと、驚きを持って見ていた矢先に電話があった。
藪から棒に、「欄間の意匠を書いてもらえないか」といった話だった。
何のこととも明かさず、一方的に大きさをいわれ、お好きなようにと依頼された。
正月早々のことで仕事も詰まっていたが、二三日のうちに書いて送ったと思う。
数日後、届いた礼もそこそこに、実はと切り出されたのがこの現場のことだった。
欄間を書かせて、私を試したのである。

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                  <加藤吉男 棟梁>

加藤棟梁のことは、師匠の中村先生から伺っていた。
日本でも有数の宮大工で、その人柄も素晴らしい。
16才で修行に入り、若くして上京、父親の元で宮大工としての厳しい修行時代を過ごした。やがて各地の社寺建築の造営、修理に参画するとともに、文化財建造物の修復に携わるなどして頭角を現し、これまで多くの実績を残されてきた人である。
西方寺本堂の新築や、国宝大崎八幡の解体修理など、歴史的様式に則った仕事は枚挙にいとまがないが、卓越すべきは西方寺五重塔の新築であった。
宮大工として、まさに一世一代の大仕事だったことだろう。6年あまりの歳月をかけ、樹齢三百年をしのぐ青森ひばに命を吹き込み、これまで培った技術の粋を結集し、存分に腕を振るわれた仕事だった。
優れたその技量は後進の育成にも活かされ、年々減少する宮大工の中にあって、伝統建築における技術の研鑽と継承にも、多大な貢献を果たされてきた。

そんな棟梁の眼鏡に、多少は叶ったのだろう。
失礼したと笑って、施主の森先生と引き合わされたのに端を発した仕事である。
後で知ったが、森先生もどこで聞かれたのか、私の伊勢での仕事は知っていた。
書いた欄間の原図は、今も棟梁の手中にある。
今年で御歳、83才を迎えられた。
宮大工の仕事にとどまらず、数寄屋の細かな納まりも熟知され、仕事の奥にある思想にも探究の眼を向ける。ひとたび疑念が生じれば、容赦なく質問を投げかけ理解を深めようとする。
その情熱は、いま以てたぎるほど熱い。
私が関わる以前の茶室の移築に始まり、その後私が書いた、広間、表門、数寄屋門、付属塀、四阿、梅見門など、一連の建築は全て棟梁の仕事による。
来るや否や、現場を早足で駆け巡り、腰を下ろすことなく大工を叱咤して回る。
多くの現場を同時に抱えながらも、このたび、国宝 瑞巌寺解体修理の大棟梁を努められることになった。
さらに重責を担われるが、ご健在で素晴らしいお仕事をと、心から願わずにいられない。

  (前田)




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