新五十鈴茶屋計画について(2) <主旨1>
続きを。
それらを背景として計画に入った。
1,伊勢の玄関口としてふさわしい建築でありたい。
2,五十鈴川へ抜ける動線を作り出したい。
3,多くの人が集える場所にしたい。
建築として、まずこれは乗り越えねばならない。
と、同時に、
駐車場に囲まれた場所がら、敢えて周囲に開きすぎる必要はない。
老舗の建物としての風格はもちろん、周囲に埋没してもいけない。
県道を走る車中からも望める、象徴となる要素を求めたい。
五十鈴川から山並みへと連なる景色を、思う存分取り込みたい。
周囲のサクラを活かして、新たな景観を作り出したい。
周辺環境に思いを巡らせながら、検討を重ねた。
商いの内容も次第に固まってきた。複合する要素として、
・五十鈴茶屋(五十鈴川店) ・赤福の出店
・お茶(伊勢茶)を商うみせ ・菓子の世界を広げる意味での「喫茶どころ」
・その延長線としての「めしや」
・川への動線を作ることで、「野遊び」の楽しさを伝えるみせ
などを候補とし、五十鈴茶屋プロジェクトチームで検討に入る。
建築としては、建物をどう配置するか、が問題だった。
日本は街道に沿って街が作られてきた歴史がある。建物も道に沿う形で連なって建てられてきた。しかしここでそれはどうだろうか。必然性がない。
商いごとの建物をどのように配置させ、または連続させながら、全体を形作るか。
暗中模索の何案目かで、この中庭の形が生まれた。
これを見た途端「パティオ」だ、といった人がいたが、それを意識してのことではない。
西洋では、このような広場を中心とする空間が街の中に幾つも点在する。人々が集まる広場を中心に、街が作られているからだ。そこが日本と違う。
日本に残る伝統的な建築群で、このような規模で中庭を囲む空間はないだろうと思う。
荒涼とした駐車場の一画にあって、多くの人を内包する豊かな空間を作りたい。
そう、模索する過程から自然に生まれた。
東側に隣接する五十鈴川の堤防は、周囲の地盤より1800㎜程も高い。
高いからといって、建物の2階と連続させてしまっては1階の眺望は得られない。
そこで、東西の敷地の長さを活かして、少しずつ地盤を上げていく方法を採った。
敷地を川へ向かうに従い、次第にせり上げていって堤防へとつなぐ。中庭に入った途端、地盤なりに緩やかに上昇する視線の先に、川向こうの緑が目に入る。
そのような”抜け”が、この場にふさわしいのではないかと考えた。
中庭を歩きながら徐々に髙さが変わることで、様々な視線が交錯する。
建物に囲まれた中庭の空間を活かすのも、この段差が有効に作用するのではないか、と思っている。
(前田)
それらを背景として計画に入った。
1,伊勢の玄関口としてふさわしい建築でありたい。
2,五十鈴川へ抜ける動線を作り出したい。
3,多くの人が集える場所にしたい。
建築として、まずこれは乗り越えねばならない。
と、同時に、
駐車場に囲まれた場所がら、敢えて周囲に開きすぎる必要はない。
老舗の建物としての風格はもちろん、周囲に埋没してもいけない。
県道を走る車中からも望める、象徴となる要素を求めたい。
五十鈴川から山並みへと連なる景色を、思う存分取り込みたい。
周囲のサクラを活かして、新たな景観を作り出したい。
周辺環境に思いを巡らせながら、検討を重ねた。
商いの内容も次第に固まってきた。複合する要素として、
・五十鈴茶屋(五十鈴川店) ・赤福の出店
・お茶(伊勢茶)を商うみせ ・菓子の世界を広げる意味での「喫茶どころ」
・その延長線としての「めしや」
・川への動線を作ることで、「野遊び」の楽しさを伝えるみせ
などを候補とし、五十鈴茶屋プロジェクトチームで検討に入る。
建築としては、建物をどう配置するか、が問題だった。
日本は街道に沿って街が作られてきた歴史がある。建物も道に沿う形で連なって建てられてきた。しかしここでそれはどうだろうか。必然性がない。
商いごとの建物をどのように配置させ、または連続させながら、全体を形作るか。
暗中模索の何案目かで、この中庭の形が生まれた。
これを見た途端「パティオ」だ、といった人がいたが、それを意識してのことではない。
西洋では、このような広場を中心とする空間が街の中に幾つも点在する。人々が集まる広場を中心に、街が作られているからだ。そこが日本と違う。
日本に残る伝統的な建築群で、このような規模で中庭を囲む空間はないだろうと思う。
荒涼とした駐車場の一画にあって、多くの人を内包する豊かな空間を作りたい。
そう、模索する過程から自然に生まれた。
東側に隣接する五十鈴川の堤防は、周囲の地盤より1800㎜程も高い。
高いからといって、建物の2階と連続させてしまっては1階の眺望は得られない。
そこで、東西の敷地の長さを活かして、少しずつ地盤を上げていく方法を採った。
敷地を川へ向かうに従い、次第にせり上げていって堤防へとつなぐ。中庭に入った途端、地盤なりに緩やかに上昇する視線の先に、川向こうの緑が目に入る。
そのような”抜け”が、この場にふさわしいのではないかと考えた。
中庭を歩きながら徐々に髙さが変わることで、様々な視線が交錯する。
建物に囲まれた中庭の空間を活かすのも、この段差が有効に作用するのではないか、と思っている。
(前田)
この記事へのコメント
これだけの大規模木造建築群、行政側とのご苦労話など差し支えない範囲でお聞きしたいものです。特に建築基準法で定められている筋交いや金物、それは耐震性確保のためだそうですが数奇屋に代表されるような木造軸組みとは本来、筋交いなどに頼らず木組みと貫などで強く靭性のある構造を成していたと思うのですが、私にはそれを伝える力量がなく、そういった処のお話しも伺ってみたいものです。先日も中間検査の指導で丸太の梁をあごで組んだ部分に柱の引抜防止用のL型の金物を付けさせられたり(捩じりに対して殆ど効果が望めないと思うのですが)。勿論、筋交いに耐力を求める建物はそれでよいのですが、それ以外の指導もあり甚だ?に思うところもありますので。
私もHPを開いてみましたが、結構載せておられましたね。私も見てしまいました。
“日本”という教科書は実はもの凄く少なく、かつ実用向けのものはないようです。理解が中途半端だと”日本”を勝手にゆがめてしまいかねません。それぐらいデリケートな部分を多く持っているのが”日本”なのでしょう。
また、私たちは現代生活をしていながらも結して”日本”から離れているわけではなく、ある次元では大きく”日本”は私たちを掴まえているようにも思います。
そのように繊細で力強い”日本”に、真っ向からぶつかってみたい、私がそう思っているのは確かなようです。
一切外界を遮断し、昼夜なく完全に籠もって書いた2ヶ月間の実施設計では、それら自分が感じている部分すべてを、はき出すつもりで臨みました。気力、体力を総動員してのことです。その意味で、私自身の至らなさが随所に出ているのかも知れません。
どうぞ遠慮ないご批評を頂きたく思います。
改めて『新五十鈴茶屋』のブログなどを読み返してみて自分が本当の理解に至るためには、まだまだ勉強不足で自分の未熟さに恥ずかしくなります。先のコメントでも言葉足らずで恥ずかしい限りです、ご容赦くださいませ。
パソコンの壁紙を新五十鈴茶屋の中庭の写真にしていて仕事の合間に眺めているのですが、何かモダンで洗練された印象を感じるのはやはり石畳から受ける感が強いようで、往事にもこういった錆石と建築の取り合わせは存在したものなのか、何れにしてもこの風景見ていて本当にワクワクしてきます。日本建築を考える場合、そのディテールの寸法や間だけではなく、そこに至る生活様式や習慣・情勢などと密接に関係があり、それを思いながら考えていくと理解できてくるものもあるようで、少し視野も広くなったような感じもいたします。日本建築といっても数奇屋、社寺建築、町屋など多様でそれぞれに洗練された美しさが有り現代にこういった建物が出来る事は本当に嬉しい事と思っております。月齢時計と聞いてお月様も普段の生活では全く気にしなくなっているな・・と反省しています。
くろさか様の細かい観察眼には本当に驚かされます。
PCの壁紙を五十鈴茶屋の中庭?!
これからHPのコンテンツの一つとして考えてみます!!
五十鈴茶屋においての苦労話やその他諸々の話は、是非、伊勢にお越しになって前田さんからお聞きになってください。
こちらでは書ききれない(書くことのできない)お話が沢山あるようですから。
月齢時計と言いましても、実際今の生活でお月様で時間を計る方はおりませんよね? モノというのは普段の生活から離れた時点で意匠となりますから、これはデザインということになります。ですが、昔の人はお月様の満月の状態から欠けていく姿のひとつひとつの呼び名を知って、日常で使っていたわけです。
かつての日常が現在ではデザインとなる。
このギャップは大きいですね。