重装備でいいのか?

山口邸もいよいよ造作工事に入った。外部周りの造作材を入れ、外壁から仕上げてゆく。
若い二人の大工も慎重な仕事をしている。
今日は大工の応援も含め、5人程きていた。造作工事と相まって、電気の配線、給排水の配管、空調の打ち合わせなど、設備工事も同時進行となる。

かようなように、設備なしに現代の暮らしは成り立たない。
私たちが何気なく暮らしている日常だが、改めて振り返ると30年前の日本ではもっとシンプルな生活だったように思う。50年前だったら本当に何もなかったといっても良いかも知れない。
つい便利な生活に憧れるあまり、日進月歩、我々の住環境は重装備になっていく。便利な設備が生活に溢れ、部屋にはリモコンが散乱し、住まうこと自体が省力化している。
こんなこと”良いわけがない”と思いながらも、こうした生活に慣れてしまった身には、到底昔日の日本の暮らしはできないだろう。
せめて作る家は、陽の当たる暖かさや、吹き抜ける風の薫りなどが感じられる家にしたい。

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「高気密・高断熱」、ハウスメーカーでは当たり前な住宅の仕様となりつつある。
気密性が良いから光熱費が掛からない、室内環境が一定しているなど、利点はそれなりにあるのだろう。しかしそのような家では窓を開けることも間々ならず、すきま風の入り込む余地もない。
それがシックハウスの弊害を生み、結局24時間換気などの装備に頼ることとなり、装備が装備を生んでいく。従い消費電力は増え、騒がれる地球温暖化など本気で考えているのだろうか、と思えてくる。

自然と共に暮らす知恵を、先人たちはうまく培ってきた。
『寒いときは寒いように、暑いときは暑いように』、と。
私もその知恵を満足に知らないひとりだが、今にして謙虚に学びたいと思う。
それが日本で暮らす家を作る、ということだと思う。

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山口邸のような木造建築では、設備屋さんも大変である。
柱が見えるということは、壁がそれだけ薄く仕上がっているということで、その壁の間を縫って配管や配線を行うことになるからだ。
神経を使わねばできない仕事だが、決して表に見えることはない。
縁の下の力持ちである。

設備自体を否定しているのではない。
”心地良い空間と生活の知恵”を補う意味で、設備は必要不可欠な存在である。
この人たちの協力なしには、日本の家もできない。

  (前田)

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この記事へのコメント

くろさか
2007年05月27日 09:09
お邪魔いたします。
高気密高断熱あるいは快適のための設備・・・これらについては物申す事多々あります。私の住んでいる東北地方では冬の快適さが第一に取り上げられるのですが、蓄熱による全館暖房のおかげもあり真冬にTシャツで過ごせると自慢げに紹介しているビルダーもあったりします。造り手も住み手も本当にそれで良いの?と、憤りすら感じることがあります。件の物件では「住宅における快適とは」をテーマに地元の工学系大学の先生方と協議しながら設備を整えたのですが、それが大変に面白く設備メーカーの提案の暖房容量を大幅に減らしたり・・・結局行き着いたところは自然の恩恵を最大限活用することで、それは本来日本人が培ってきた生活の知恵そのものであった事に驚かされました。日本といっても大変に広くその地方の気候因子を上手く採り入れながら、それぞれに工夫し生活する、それが当たり前の事だったんですよね。先に取り上げられていた虫籠窓なども重力換気のための装置であるにも関わらず、そこに意匠性を持たせる美意識、過剰設備で厚化粧するよりも日本らしさを再確認するべきと、強く思います。
前田
2007年06月02日 14:35
くろさん、いつも有り難うございます。
設備については、さすがに昨今過剰と思われるモノが少なくないですね。その分、我々の身体も気候や環境に対して弱くなっているんだと思います。
人間も基本的に動物なのですから、もっと自然に順応できて当然なのでしょう。余りに便利になりすぎると、自らの適応能力を妨げることとなり、後でしっぺ返しが来そうで恐いです。
やはり生きるものとして、「見えざるものへの畏怖」が無ければならないと思います。
くろさんの所は、東北の気候の厳しい環境ですから、自ずと設備に対する要求は違うと思います。色々なご苦労があろうかと思います。
またそのあたりのことも教えて下さい。

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